パソコン活用研究万葉の里(お笑い文学、万葉集)

万葉集 遣唐使


遣唐使に随行した日本人留学生の墓誌が中国で見つかったそうだ。
遣唐使は、教科書でも大々的に取り上げられている重要な歴史事項であるにも関わらず、
中国での遣唐使の様子は、ほとんどわかっていなかったらしい。今回の墓誌は、遣唐使の
中国での様子を伝えるきわめて貴重な資料となったようだ。

その留学生の中国名は、「井真成」。玄宗皇帝に使え、死後皇帝は死を惜しみ、異例の官位が
贈られたとある。入唐したのは、717年、阿部仲麻呂、吉備真備と同じであるらしい。それから17年
の歳月が流れ、彼の逝去したその秋に、日本に帰る船が出たとのことである。日本に帰国して
いたら、日本の歴史に名を残していたかもしれない。

万葉集に遣唐使のわが子を見送る母が詠んだという歌がある。
旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子はぐくめ天のたづむら(鶴群)

祈るような親心である。
彼も、そういう肉親祈りを背負って唐に旅立った一人であった。

もうひとつ、万葉集の見送る歌。これは東国の庶民の歌、いわゆる東歌である。
信濃路は今の墾道(はりみち) 刈株(かりばね)に足踏ましなむ 履はけ吾が背 
懇道は、開墾して作ったばかりの道。(だから)切り株だらけで足で踏んでしまうだろう
ということ。背は夫のこと。

信濃に行く夫を見送る妻の歌だが、この時代、旅たつ者、見送る者の万感が胸に迫る。


さて、遣唐使といえば、山上憶良、阿部仲麻呂、吉備真備、最澄、空海ら教科書にも名前が
載る錚々たるメンバーである。
彼も無事帰国していたら、教科書に名を残すような人物になっていたかもしれない。たとえ、
教科書に載らなくても、玄宗皇帝からそこまで惜しまれた優秀な人物であるならば、故郷に
錦を飾ったのは間違いない。なのに、帰国の船を目前に逝ったその無念さは察するに余りある。
墓誌にはこう記されている「遺体は異国の土となったが、魂は故郷に帰る」と。

彼の歌は残っていないが、同期生ともいえる阿部仲麻呂の望郷の歌。
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも
彼もきっと、夜、空を見上げ幾度となく、故郷を思い、父母の面影を、月に探したことだろう


最後に、やはり遣唐使の山上憶良の歌。彼も帰国してからも、国司として都を離れ、地方を転々
とする生涯を送った。
天離る鄙に五年(いつとせ)住まいつつ 都のてぶり忘らえにけり
田舎に住んで都のことを忘れたと言っているが、日本に帰国でき、それなりの人生を送れたの
だからよしとしようではないか、憶良君。

もうひとつ憶良。
をのこやもむなしかるべき 万代(よろづよ)に語りつぐべき名は立てづして
男子たるもの、後世まで残る名をたてづしてよいのか、と。
さすが、遣唐使に選ばれただけのことはある者の歌というべきか。遣唐使の面目躍如たる歌。



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