パソコン活用研究万葉の里(お笑い文学、万葉集)

再び沖縄へ


<2002年>

序章

昨年(2002年)初めて、家族で沖縄に行った。
子供たちは、まず飛行機に乗れることでおおはしゃぎ。沖縄に行くのに飛行機に乗るということがわかって以来、
子供たちのボルテージは上がっていく一方であったが、羽田に向かうタクシーの中では誰が窓際に座るかで骨肉の
争いを演じ、羽田で飛行機が見えたところで子供たちの興奮は最高潮に達した。
飛行機に乗るという一大イベントが、この夏の思い出の全てであり、沖縄がどこにあるかなんてことは眼中になし。
まず長男(4年生)にして、沖縄が日本のどこにあるのかわかちゃない。次男(幼稚園)にいたっては、
「ねえ、沖縄てアメリカ?」とかわけのわからん質問をするありさまで(確かに一時期そうだったが)、三男(3歳)は
沖縄だろうが、近所の公園だろうが、お出かけには違いないというレベル。
かみさんの、子供たちに最高にキレイな海を見せたい、それなら沖縄だ、本島では万座ビーチが一番いいだろう
(1カ月かけていろいろ検討したみたいですが)、という努力と思いは、子供たちから肩透かしを食わされた格好で、
子供たちの頭の中は、一に飛行機、二に飛行機、三に飛行機、四、五も飛行機。長男にしてようやく六ぐらいに
沖縄という具合であった。


沖縄のイメージ
というわけで、われわれは万座毛(沖縄の中部地区ですね)の万座ANAホテルに向かったのであった。
沖縄って、まず、植物相が亜熱帯的なところが目につくのだが、それ以上に印象的なのは建物とか街並みの感じ
がアメリカの中西部のローカル都市ぽい点。屋根がフラットで、ま四角な建物が多い。建物の色調も黄色とか
ピンクとかがあって、アメリカンな感じがする。それに中国的な部分が混じっていたりして、そのエキゾチックさ
にぞくぞくしてしまった。(おじさん、こふいふ比較文化のようなジャンルにはぞくぞくしてしまふのです。
最初、飛行機でわざわざ沖縄まで行くのは面倒だなあと思っていたけれども、まあ個人的には満足)

 (沖縄のイメージ)
 強い日差しの照り返しで、道路が白っぽく
 
 亜熱帯的な植物(シダ類)
 
 強い日差しで、原色の建物の色がとても鮮やかに
 目に飛び込んでくる。
 
 フラットな屋根の四角い建物














万座ビーチ
万座ホテルはトロピカル感満点で、ホテルとしてはかなりよかった。万座ビーチも海につかってのんびり浮かんで
いると、癒し度満点で、かみさんの企画は大人向けにはなかなかいい企画であった。
(携帯に会社からコールが入らなければ100点満点だったけどね。沖縄きてまで呼び出されるのはいやだなあ)


 万座ビーチの静かな海。
 ただ浮いているだけでいい。








一番、海にはいったのは三男。浮き輪につかまって「ふゆふゆ」と
波間に揺れて、万座ビーチを満喫。
長男と次男は、もっぱらホテルのプール。
かみさんは、プールに入るんだったら、二度と沖縄なんか連れてこないと激怒していた

大東植物園
沖縄の自然を凝縮したのが、大東植物園。

大東植物園
沖縄は暑い。直射日光が非常にきついので
肌がすぐに軽度のやけど状態になる。そこに
きつい日差しをあびるとひりひりいたい。

まさしく亜熱帯













首里城
歴史的にみれば、沖縄本島、宮古、西表は縄文文化はそれぞれ独自の発展を見せている。
沖縄地域というくくりで、統一的な文化圏になるのは、尚氏による統一が進み始めたあとなので
12,13世紀以降のことである。
沖縄は16世紀に薩摩の島津氏に従属するまでは、独立王国だった。それまで中国に
朝貢しており、文化的には、日本とも中国とも違う、独特の文化を発展させた。
首里城




<2003年 久米島>

最高にきれいな海

そんでもって、もっときれいな海を見せたい、熱帯魚がすぐ近くに群れている海を見せたい
という、かみさんの熱意により2003年再び沖縄(今回は久米島)にやって来ました。

海のきれいさでは、やはり「はての浜」でしょうか。
砂粒が大きいので、海がにごらないんですね。これが沖縄の海のきれいさの理由ですか。
砂浜はどこまでも真っ白で、強い沖縄の日光に照らされて、長男いわく
「白すぎて目が痛い」

  
きれいな海だ。
熱帯魚がすぐそばに泳いでいる。
シャツきてないと、日差しが強くてやけどになります。


しょうた。
シーサーと










沖縄の道
沖縄というと、白砂の道と、濃い陰。そして石垣。赤がわらの屋根
でもこんな古典的な沖縄はもうほとんど残っていない。
典型的な沖縄の道

沖縄の絵葉書に「初めて来たのに、なぜか懐かしい」とあったが、本当に
そんな気がする。


環境破壊
久米島の一角に熱帯魚の館とよばれる、熱帯魚の群れているスポットがある。
つるつるすべる岩場の隙間から下をのぞくと、色鮮やかな熱帯魚が群れをなしている。
東京に持っていけば1匹10万円というような熱帯魚があっちにもこっちにも。
夏休みの夕方には、地元の子供たちが取りにくるそうだ。
それでも、国の補助金がらみでやった環境整備のせいで、下水の流れなどが変わりかなり環境破壊が
進み熱帯魚の数も激減したそうだ。


久米島の特産
久米島の耕地は見渡す限り、さとうきび畑であった。おじさんのこどもの頃の教科書には、沖縄の特産
としてパイナップルがあげられていたが、今は観光農園でしかパイナップル畑は見られない。
東南アジア産のパイナップルにおされて、沖縄のパイナップル畑はみなさとうきび畑にかわったらしい。
(さとうきびは、日本政府によって補助金がでている、はず)
パイナップル畑の前は水田だったらしく、戦後の沖縄農業は、水田(稲作)−>パイナップル−>さとうきび
と変わっている

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