パソコン活用研究万葉の里(お笑い文学、万葉集)

よたび沖縄へ


序章
行ってまいりました。よたび沖縄へ。
しかし今回は出だしが最悪。おじさんの記憶上、人生最悪の出発となりました。
マンションへ導入したシステムがトラブルにつぐトラブル。主任開発者は退職し、引き継いだSEは
このシステムについてほとんど素人状態。残された営業(おじさん)は出発直前まで現場をかけづり回り
ゼネコンに軟禁状態。朝7時に現場へかけつけ、他の工事業者や、内装業者といっしょに朝礼に出て、
夜12時まで現場で全戸の調査。タクシーで2時に帰宅。また5時に起きて・・という生活を1週間。
ディベロッパーからはメーカーとしての責任をとれ、損害賠償だと脅かされ、ついに胃潰瘍の状態で出発へ。

それでも、飛行機は石垣空港へ。小さな小さなローカル空港だ。ひんやりと冷房のきいた空港から外に
出ると沖縄は今回もうだるような暑さの夏まっさかり。
しかし、沖縄についても心はブルー。いや、海や空がブルーならそれはうれしいが。
鉛のように重い心で石垣島に降り立ったのだった。
石垣島を踏みしめる一歩一歩が地面にめり込むように重い。子どもたちのはしゃぎぶりが、遠い夢を
見ている感じ。

石垣島鍾乳洞
ホテルに向かう途中、まずは石垣島鍾乳洞へ。こんな時に携帯に電話がかかってくるから、気分は最悪。
機械的にただ歩くだけ。

川平湾
さとうきび畑や、牧草を食む牛たちをみながら、車を走らせ日本百景のひとつ川平湾へ。
途中、ほとんどすれ違う車もなく、のどかな田園風景。

 あまりの暑さにさっそくカキ氷を食う子ども

川平湾自体は確かに美しい景観だった。少しづつ気分転換。石垣にいたんじゃどのみち仕事は
できないのだから、このくそ暑さに身をまかせることにした。

ヤエヤマヤシ群
米原のヤエヤマヤシ群を見に行く

 ヤシ群落に入る手前の道は
 海へ一直線。

 海へいってくるよ!と言い残して
 一直線に海に駆け出していく
 なんてのが少年時代の思い出

 だったらいいが、

 おじさんもそんな少年時代は送った
 ことなし。夏期講習の帰り道、スモッグ
 のため、雲ひとつない晴天なのに、灰色
 の新宿の空をみたのが印象に残っている



 ヤシ群 恐竜がでてきそう。
歩いている途中、いきなりヤシの大きな枝が大きな音をたてて落ちてきた。
とっさによけたが、直撃されたらオオケガだ。


宮良殿内
宮良殿内は八重山の士族の様式の建築


八重山諸島の言葉は同じ琉球地方でも、沖縄本島とは結構違う。うろ覚えですが、縄文、弥生時代
は沖縄本島と八重山諸島はまったく違う文化を持っていました。八重山諸島が沖縄本島の文化圏に
属するのは、尚氏による沖縄本島統一頃(14世紀くらい)からとのことです。


石垣の海とホテルのプール


  石垣まできたならもちろん海

  もう一番下の子も泳げるのに
  結局海に出たのは半日だけ。






 やっぱりホテルのプール
 がメイン
 
 スライダーがあったので、
 もっぱらスライダーで遊び
 まくる

 













サンセットクルーズ
石垣まできたら、最も古きよき沖縄が残っている竹富島で、牛車にゆられながら、赤がわらの
沖縄の家並みを観光、というのが定番コースだが、誰も興味を示さなかったので、遊覧の釣り船
でサンセットクルーズをすることになった。
以前、池釣りをやらせていらい、子どもたちは3人ともなぜか釣りにご執心。ま、あの時はでかい
鯉がかかったものだから・・・、また釣れると思っているのかも?

しかし、今回は3時間粘るが誰も1匹も釣れず。潮の流れと時間帯があるらしい。
サンセットを見ながら船の上でバーベキュー。
沈む太陽の前をちょうど船が横切って行きました。
ちなみに、このサンセットクルーズのスタッフは1人を除いてみな県外からの移住者やアルバイト。
東北や東京出身者が多く、標準語で会話が進んでいた。
沖縄の観光関係のスタッフはほとんどが県外からの移住者らしい。




こうして4度目の沖縄も暮れていきました・・・

東京に帰れば・・・



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