| タイプ | ゲーム内容 |
| 純粋な探索 | 景色を見ながら歩く |
| ストーリー型 | 歩くことで物語が進む |
| 謎解き型 | 歩いて手掛かりを探す |
| サバイバル型 | 歩きながら食料・装備などを管理 |
| アクション融合型 | 歩行+戦闘・運搬など |
| 本格シミュレーション | 地形、疲労、速度などまで再現 |
「八番出口」はこの分類の中の謎解き型に分類されるゲームと言えるでしょう。
(2) ゲーム「八番出口」
先には、「謎解き型のウォーキングゲーム」に分類されると書きましたが、このゲームは間違い探しをゲーム化
したようなゲームです。
プレイヤーは地下通路を歩きながら、「前回と何か違うところはないか?」を観察します。
異変がなければ進み、異変があれば引き返す、という非常に単純なルールでゲームは進行し、
正しい選択をすると通路の案内板が0->1->2->3 ... ->7->8 と変化し(下記の画像1の黄色の案内板。
画像1では8番まで進んでいる)、地下通路から抜けでることができます。
選択を誤ると案内板の表示が0のところに強制的に戻されます。
(画像1)
■ ゲーム8番出口 (switch用)
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| ゲーム『8番出口』 | 映画『8番出口』 | |
| 主人公 | プレイヤー自身。人物設定はほぼない | 二宮和也演じる「迷う男」 |
| ストーリー | ほぼない | 明確なストーリーがある |
| 登場人物 | 主にプレイヤーと、通路を歩く「おじさん」 | 迷う男、ある女、少年、おじさんなど複数 |
| 目的 | 8番出口から脱出する | 8番出口からの脱出+主人公自身の問題の決着 |
| 本ルール | 異変があれば引き返す/なければ進む | 基本的に同じ |
| 異変 | ゲームに用意された異変を探す | 原作の異変+映画オリジナルの異変 |
| 視点 | プレイヤーの一人称 | 一人称的な映像から、映画的な三人称表現へ |
| ゲーム性 | 自分で「異変か?」を判断する | 観客も一緒に「異変はないか?」を探す |
川村元気監督自身が、原作ゲームの「進む/引き返す」というルールを人生における二択のメタファーとして解釈し、
映画では「自分の人生にとって重大な二択」を抱えた主人公を設定した、と説明しています。
また「無関心の罪」も作品のテーマの一つだと語っています。
そして、おじさん、少年、少女は主人公の人生における選択や責任を、それぞれ別の形で体現しているメタファー、象徴
と考えらえますが、川村監督はそれについては言及していませんので、見る人によって多義的に捉えることができる
余地があります。
それぞれの登場人物がどんなメタファーなのかを整理してみました。
| 登場人物 | メタファー・象徴 |
| おじさん | 過去・惰性・諦め 「何も考えず、昨日と同じ今日を繰り返す人生」の象徴 異変に気づかないまま同じ生活を繰り返す人 少女がおじさんに対して「毎日満員電車に乗って毎日仕事をしてその繰り返し」 と語る場面があります。 あるいは、選択を避け続けた結果の、未来の主人公の姿としてみることも できるかもしれません。 |
| 少女 | 現在・過去への執着・無関心 少女については多様な解釈がありそうです。 過去に執着する人、あるいは現代社会への傍観者という見方もできそうです。 さらには、未来を諦めている人の象徴とも言えるかもしれません。 |
| 少年 | 未来・責任・可能性 少年は主人公の未来の子供ではないかと暗示させる部分があります。 主人公はこの少年を見捨てるのか、それとも責任を引き受けるのかという選択を 迫られる部分があります。責任を引き受けた結果生れる未来を暗示している ようです。 |
| 主人公 | 現在の自分。人生の選択を迫られている人 |
個人的には、おじさん、少年、少女の3人はそれぞれが主人公の内面の一部のメタファーだととらえるのが
分かりやすい気がします。
少年:主人公の中にあるまだ言語化できていない気付き
最初、少年は異変には気付きますが何もしゃべりません。
途中で少年が主人公と会話するようになりますが、これは主人公が自分の内面を言語化できるようになった
という変化として考えることができます。
これは主人公が問題に正面から向きあうようになった変化として考えていいと思います。
おじさん:主人公に中にある「何も変えようとしない」「このままでいい」という惰性の部分。
映画ではおじさんのサブストーリーが追加されており、おじさんもこの地下迷路に迷い込んだ一人の人間であった
ことが描かれています。おじさんは結局地下通路から抜け出ることができず、0番出口の先に現れた偽の出口(これも異変の一つ)
から地上に出ようとします。ゲームでは偽の出口から出ようとすると0番に戻されますが、映画では、偽出口から出ようとした
なれの果てが、もはや人間ではなく地下通路を永遠にぐるぐる周る存在としてのおじさんとして描かれています。
つまり、何も変えようとしない、安易な選択をし続けた結果、もはや人間としての存在を失うと解釈してもいいと思います。
少女:自分の中にある「自分とは関係ない」「そんなことをしても仕方ない」という問題を避けて通ろうする部分。
少女はガラケーを持っており、おじさんより前に地下通路に迷い込んだ人のように見えます。
少女はおじさんに対して「毎日満員電車に乗って毎日仕事をしてその繰り返し」「そのほうが地獄」
と語ります。この少女は無関心、みて見ぬふりのメタファーのように思います。
そして、異変とは地下通路の異変であるとともに、主人公の心の変化でもあり、案内板の数字が8に近づくにつれ
主人公の心の中に、自分の中にある問題に気付き ⇒ 言語化し⇒問題に向き合う という変化が生じた、
と解釈することもできます。
映画の最後、主人公「迷う男」は八番出口から地上には出ず、階段を下りて地下鉄に乗り込みます。
これは最初に乗った地下鉄の場面に戻ったようでもあり、「迷う男」の課題が解決されたあわけではないようです。
しかし、自分の課題に正面から向き合うという変化がみられており、異変を見過ごし、選択を先送りしてきた人生から
の脱却を目指すと言う変化がみてとれます。