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                  受験(傾向と対策)雑感


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受験における傾向と対策とかについての戯言。

子ども達がそれぞれ受験期に入り、学校や塾の先生方から、「今の受験はお父さん方の時代とは
違いますので、お父さん方の体験を元にお考えになるのはやめて下さい・・」というようなことを
よく言われます。

確かに、特に東京では公立の凋落が著しく(最近一部復活しつつあるようですが)、進学校の序列も
かなり入れ替わり、かつての名門がおちぶれて、新御三家が躍進し、更に渋谷教育学園が台頭と、
いろいろ変化は見られますが、試験問題自体は、高校受験にしろ大学受験にしろ、むしろわれわれの
頃よりやさしくなっており、どの程度の学力があれば合格できるのか、そのためにはどの程度勉強すれば
いいのか、おおよそのところ見当がつきます。

おじさん自身について独断と偏見で言わせてもらえば、結構、受験のエキスパート(と言っていいかも)です。
中学受験(失敗)→都立西→駿台に3年→三浪して東大(4回も受けた)、という稀有な
経験をしており、受験についての経験はそれなりに豊富。
受験の裏も表も、その酸いも甘いも知っている・・と言えば大げさかも知れませんが。
合格するために身につけるべきもの、受験の心構え、耐えられること耐え難いこと、ある意味、おそらく先生方の
数倍も自分では体験しているわけで、子どもの学力が足りているのか不足しているのか、まだ余力があるのか
あっぷあっぷなのか、もっと尻をたたいていいのか、少し手を抜かせたほうがいいのか、どの学校を選択したら
いいのか、特にわからないことはありません。(と言うとエラソーですが)
まあ、いやというほど”受験”は体験しています。

体験が強烈な分、自分の体験だけを元にして判断したりすることには十分注意しないといけないのですが、
「お父さん方の時代とはまったく違う」というほど受験は変わってはおらず、むしろ自身の受験体験が
希薄な先生の言うことは薄っぺらい気がします。(まあ、塾の受験指導は商売=まず第一に塾の合格実績作り
ですからね。でも、真剣に対応してくれる先生は多いです)

・・と、偉そうに言ってはみたものの、自分の子供の受験指導はうまくできたか?と言うと・・それはNoでして。
むしろ子供たちへの受験指導は失敗したというのが正直なところ。やはり、環境も個性も違うので。


と、ずいぶんと前置きが長くなりすぎましたが(・・作文や論文で字数稼ぎをするのに、前置きを長く書く
クセがなかなか抜けない。前置きが本論より長かったりする・・)

受験における傾向と対策、というテーマに関して、結論を言えば、
傾向と対策をまったく無視して受験にチャレンジして無残に散ったというのがおじさんの歴史。

いわゆる”傾向と対策”についても、普通の人の数倍の成功・失敗を経験したので、
今回はその必要性、功罪について独断と偏見で、自身の体験を中心に戯言を書いてみます。戯言です。


おじさんが受験したのは、はるか昔、・・ではあります。昔だから受験ものんびりしてたんじゃないのと
思うかもしれませんが、のんびりどころか、今よりずっと激しい競争だったのではないかと思います。
TVでも新聞でもインターネットでも(って、インターネットは
なかった気がするが)”受験地獄”という言葉が踊っていた時代ですから。

当時は「傾向と対策」、通称赤本と言われた過去問集がありましたが(今もありますけどね)、
予備校その他受験産業界にとっては「傾向と対策」は、生徒集め、金あつめに必須のアイテムで、
街中に「傾向と対策」があふれていました。(というか、デートすら傾向と対策本のお世話になる世代
のはしりですからね、おじさんの世代は)
その一方で、「本当の学力があれば傾向と対策は不要」をうたい文句にしたスパルタ塾なんかもあって、
結構な進学実績を誇っていたりしました。(今も、あるんでしょうか、こういうスパルタ塾。)

ここで、またちょっと横道それますが、で、おじさんの通っていた都立西校はどんな学校だったかーというと、
ナンバスクールといわれた旧制中学を前身に持つ高校だったので、
当時はまだバンカラな気風が結構残ってました。
受験にはまったく鷹揚で、”傾向と対策”みたいなことにはみんな概して無頓着。
それゆえ現役合格はまれ、まさしく一浪と書いて”ひとなみ”と読むを地でいくような雰囲気だったように
記憶しています。(西高については高校時代浪人時代雑感にちょっと書きました)

そんな気風のせい
ではないのですが、おじさんは「本当に学力があれば傾向と対策は不要」という信念のもとで、受験まで
過去問を一問もやりませんでした。うそみたいな話ですがホントです。
ま、おじさんの思考回路のなかでは、こういうロジックだったわけです。
受験のための勉強=傾向と対策=受験が終われば忘れる=将来何の役にもたたない=無駄
無駄な勉強に時間を使いたくない。どうせ勉強するなら将来にわたって使える勉強をする、とこういう
わけです。結構、まともでしょ。

公式とかをまる暗記、解法のテクニックを身に着けるとかではなく、どうして、そういう公式が導けるのか
みたいなところをきっちりやる。
土台から地道に組み立てていく、そんな感じの勉強を中心にやりました。
ただし、傾向と対策はまったく無視していました。くどいですが過去問をいっさいやりませんでした。
傾向と対策 ≠ 本物の学力 と考えていましたので。


で、その結果が重要ですよね。成功なのか失敗なのか。(聞きたいのはそこだけ、早く結論言えよ? ですか・・
そうですねえ、じゃあそろそろ)
共通一次試験はすこぶる好調でした。共通一次は比較的基礎的な問題しか
でませんので、本当の学力をつけるための(と自分では思っていた)勉強でもまったくノープロブレム。
学校内でも並み居る天才・秀才をさしおいてかなりの上位の点で(あくまでも自己採点ですけどね)、
全国の順位も東大の合格者人数に十分入る位の位置だったように記憶しています。
友人達から「お前が合格しても、辞退して浪人生活につきあえ」とか言われて、「わかった。お前らに
つきあって、浪人したるわい」とアホ丸出し発言しておりました。(うかるわきゃないのにさー)

さて、2次試験。
2次試験はからきし歯が立たず、仲良く友達と浪人生活を送ることになりました。
(浪人時代については高校時代浪人時代雑感にちょっと書きました)

成績自体は現役時代→1浪目でそれなりに伸びました。これは駿台で優秀な講師陣に教えていただいた
たまもので、特に英語の基礎力がついて伸び、古文、漢文も基礎力がついたように思います。
その後の浪人時代は、1浪目→2浪目→3浪目と学力自体(点数自体)に
変化はほとんどなかったと思いますが、ある意味で傾向と対策が身についたおかげで受験(本番)での
点の取り方がわかったと思います。
(特に3浪めは心機一転、社会のうち1科目を政経からあえて世界史に変え、理科も直前に物理から地学
にするという離れ業をやりました。まあ、世界史はまったく得点源になりませんでしたが)

3年間も同じ勉強を繰り返して、学力自体(点数自体)にあまり伸びがなかった、なんてバカなんじゃない
と思うかもしれませんが、ま、そうですねえ・・。
試験て基礎をみっちりやればできるようになる問題と、センスを問われる問題とのミックスですが、
センスを問われる問題は、センスがない人(=おじさん)がいくら勉強してもなかなかできるようになりません。
1浪目にできなかったセンスを問われる問題は、3年やっても解けるようになりません。(特に数学、理科)
ただし、英語、古文、漢文は基礎を徹底すれば解ける問題がほとんどなので、基礎力をつけてペース配分さえ
誤らなければあまり失点しなくなります。
東大も基礎力を徹底すれば解ける問題がきちんとできればなんとか合格点に達します。
4回も受けた経験から具体的な話は、傾向と対策は必要かに少し書きました。

傾向と対策とは言っても、もちろん根本的にはちゃんとした学力があることが大前提です。
基本的な学力なければ傾向と対策だけでなんとかなる・・わけがなく、・・しかし、基礎的な学力はあっても
傾向と対策を疎かにした結果、実力の半分しか力を発揮できなかった・・ということはよくあることです。
少なくとも過去問を2,3年分はやって、自分が受ける大学の問題の難易度、分量を把握して、例えば
英単語ならどのレベルまで覚える必要があるのか(難易度の把握)、どうペース配分するのか(分量の把握)、
捨ててもいい問題があるのか、くらいは準備したほうがいいでしょう。よく、受験生で正解者は皆無に近い
んじゃないのという難問(というか奇問)を必ず1問は出す大学があったりして、その問題では差がつかない
ので、そういう問題は最初から捨てる、みたいな作戦が有効だったりします。
(過去問やってみて5割解けなければ、まだ基礎的な学力が足りてないので、傾向と対策云々以前に
まず基礎学力つけないと、です)
あとは、大学によっては、毎年必ず出題される分野、絶対出ない分野があったりする場合があるので、
傾向と対策としては、その程度を把握できればまずはOK。
さらに、大学によっては出題傾向にあわせた+αの勉強法が有効な場合もあるかもしれません。
(資格試験のTOEICのような試験だと、ペース配分、出題への慣れが重要で、それ等の対策だけで50〜100点
くらい上がってしまうことがあるらしいです。)


(独断と偏見ですが、個人的には1浪目、2浪目の本番の失敗は時間配分の失敗・・??と思ってます)
高3で急に理系から文系に転じたため(数学が苦手? いえいえ、数学、理科はもっとも得意とする科目であり、
文転したのは将来的な理由から)、英数国の3教科で合格点をとる(社会は0点のつもり)という極端な作戦
をとっており、英数国の高得点狙いが時間配分のミスにつながった(という側面も否めなくはないです。はい)
東大の2次試験は、英語、国語、社会が120点満点、数学80点満点の合計440点満点で、6割が合格
ライン(265点くらい)と言われていますが、おじさんは社会がイマイチだったので、社会0点で、
英、数、国の3科目(320点満点)で合格点をとるといういささか無謀な作戦で挑み、一浪、二浪目は
完ぺきを期しすぎて時間配分を誤りかなりの問題をやり残すという失敗をしてしまいました。

単なる言い訳ですけど。すんません。(結局、3年の浪人で社会を得点源にできなかった、ってどういうことよ)
(社会科に関心ないわけじゃなかったんだけど、ともかく暗記あまり好きじゃなかったんだよね)


最後に付け加えておくならば、社会人になってからも、、どうしてそういう公式が導けるのかみたいなところを
きっちりやる勉強をしておいたほうが役にたつ(応用がきく)ことが多いです。

本物の学力=基礎を徹底 という勉強は無駄にはなりませんので、その上で傾向と対策をたてておく、
というのが王道ですね。基礎を徹底というのも、どうするのが基礎の徹底なのか、という話がありますが
そこらへんは、、傾向と対策は必要かに少し書きました。
社会に関しては、政治経済(現代社会)は実社会に出てもストレートにビジネスの基礎知識になるんだけども、
歴史はちょっと本格的にやらないと、あまり応用が利くレベルの教養として身につかないです。

最後の最後に、あとがきですが・・・。
アメリカのベトナム戦争の映画を見るたびに、アメリカにとってどれだけベトナム戦争がトラウマ
となっているのか、そのキズ跡の大きさに毎回胸をえぐられる思いをするのですが(きっと、このキズ
がいえるのにあと50年か100年必要なのだろう)、同じ意味で、話がこと受験になると、おじさんも
なかなか客観的かつ冷静に語るのが難しいような気がします(自分では冷静であるように努めていますが)。
三浪もしてしまうと、やはり受験がトラウマになってしまうのかもしれません。今回は独断と偏見による
殴り書きということで・・

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